大塚製薬のビジョン

隅から隅まで創造性

世界で
通用するものしか、
やらない
大塚製薬は1964年に生まれ、約50年が経ちました。今でも、情報があふれ便利な都会ではなく、四国徳島の地でじっくりと創造性を育み、多様性も変革もこの地からグローバルに発信しています。

みんな東京、東京と言うもんですから。我々は何でも抵抗するんです。

東京もいいですが、情報がいっぱい交錯していますから、結局、同じ製品ばっかり出てくるんです。地方は不便です。不便ですけど、じっくり考えることができる。徳島はいいことに大学に薬学部、医学部がありました。今、少しお金をかけて『徳島返り』をしています。外国から来るお客さんにきちんと説明できるようにしたし、工場の敷地内には保育所を作りました。

我々は田舎にいてみんな、なあなあで緩んでいましたので、『難しい方、難しい方へ行こう』という考えはずっと持っておりました。そのほうが人が鍛えられるし、難しい方には競争が少ないということもある。

欧米の製薬企業はどこも小さな町にあり、地元を守って一生懸命やっている。そこで工夫できればいいし、人材も呼んでくればいい。人と金が集まれば田舎でいいんじゃないかと。まあ、ちょっとへそ曲がりだけどいいんじゃないですか。

2011年発行『ヒットの経営学』日本経済新聞社編
大塚明彦・当時大塚ホールディングス会長インタビューより