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ヒストリー オロナミンCが歩んだ46年の軌跡 これまでも。これからも。オロナミンCは「元気ハツラツ!」

[HISTORY 1] 昭和36(1961)年 革新的だった「炭酸」という新発想。

[HISTORY 1] 昭和36(1961)年 革新的だった「炭酸」という新発想。

「元気ハツラツ!」でおなじみのオロナミンC。その開発の歴史は今からなんと50年も前、半世紀前となる昭和36(1961)年。大塚製薬初のドリンク剤「グルクロン酸ビタミン内服液」、翌年同時発売の「キングシロー」「クインシロー」まで歴史を遡らなくてはなりません。困難を極めた開発。そこに光を与えたのが「炭酸の爽やかさ」という、それまで誰も思いつかなかった革新的な新発想だったのです。

グルクミン酸ビタミン内服液 クインシロー キングシロー

[HISTORY 2] 昭和40(1965)年 「オロナミンC」商品名誕生秘話。

[HISTORY 2] 昭和40(1965)年 「オロナミンC」商品名誕生秘話。

大村 崑さんクラスター

「炭酸」という革新的なアイディアで開発の糸口をつかみ、「美味しいドリンク剤」を追及した結果、ついに昭和40(1965)年、革新的な炭酸栄養ドリンク「オロナミンC」が誕生します。商品名には大塚製薬の大ヒット商品「オロナイン軟膏」の「オロナ」と、豊富に含まれた「ビタミンC」の「ミンC」を取って「オロナミンC」と名づけられ、一人でも多くの方々に愛飲されるドリンク剤を目指し、歴史的一歩を踏み出したのです。

[HISTORY 3] 販売困難という壁はこうして乗り越えられた。

[HISTORY 3] 販売困難という壁はこうして乗り越えられた。

ホーロー看板

「身近なところから消費者を」という方針のもと、オロナミンCの営業マンは従来の取引先を中心に、よく冷えたサンプルの配布に努めます。ところが、主要販売先である薬局系ルートでは、清涼飲料水であるオロナミンCは販売困難という壁に直面。そこで食系小売店、交通機関、病院、学校、スポーツ施設、遊技場、浴場など、当時未開の地であった販売ルートを、一軒づつ地道に開拓していったのです。

[HISTORY 4] 昭和41(1966)年 「もう一度飲みたい」と感じてもらうために。

[HISTORY 4] 昭和41(1966)年 「もう一度飲みたい」と感じてもらうために。

オロナミンC発売当初のCM

販売網の開拓、ホーロー看板やテレビCMによる宣伝活動とともに、「一度でも飲んでもらえれば、確実に次の需要に結びつく。また、飲んだ方が他の方にも薦めてくれる」として、各所でサンプリングによる商品価値の伝達を行った結果、もう一度飲みたいという気持ちをお客さまに感じてもらえる商品となったのです。それを裏づけるエピソードとして、オロナミンC発売の昭和40(1965)年、徳島県阿南市内のうどん店に、お子さんが一人でオロナミンCを買いに。実はこの子、向かいの薬局の息子さん。親にねだれば他社のドリンク剤がもらえたのに、わざわざオロナミンCを指名してきたんだとか。こうしてオロナミンCは、その評価を高めていきました。

[HISTORY 5] 昭和45(1970)年 年間売上1億本を突破せよ。

[HISTORY 5] 昭和45(1970)年 年間売上1億本を突破せよ。

かつてのオロナミンC製造ライン

オロナミンC発売から5年を経た昭和45(1970)年。アジア初の大イベントとなった大阪万博で決行されたのが「万博作戦」と呼ばれたミッションでした。場内では全売店180店中実に105店でオロナミンCを販売、場外では大阪周辺のみならず北海道~鹿児島の各交通関連施設で販売を強化。作戦は功を奏し、2年後にはついに年間売上1億本を突破。「万博作戦」の努力は、こうして実を結んだのです。

[HISTORY 6] 昭和47(1972)年 牛乳? 卵? ウイスキー? 新感覚な飲み方。

[HISTORY 6] 昭和47(1972)年 牛乳? 卵? ウイスキー? 新感覚な飲み方。

当時のテレビCM一コマ

「老若男女を問わず愛され、家族みんなに飲んでもらえるドリンクになる」という信念とともに成長したオロナミンCが、大阪万博以降さらに人気を高めたのが新しい飲み方の提案でした。牛乳と合わせた「オロナミンミルク」、卵黄を混ぜた「オロナミンセーキ」、ウイスキーを割った「オロナミンウイスキー」などが話題に。昭和47(1972)年の大村 崑さんが家族でオロナミンCのカクテルを楽しむCMもこの頃です。

[HISTORY 7] 昭和48(1973)年 オイルショックのピンチを救った英断。

[HISTORY 7] 昭和48(1973)年 オイルショックのピンチを救った英断。

オロナミンC製造ライン

一般的なジュースが35円だった昭和40年代、オロナミンCは100円にも関わらず売上は堅調でした。ところが昭和48(1973)年のオイルショックが与えた混乱の影響はオロナミンCにも及ぶことに。そこで講じられたのが最新生産システムの導入。なんとあえて設備投資をすることで効率化を実現し、原料高騰によるコストアップを吸収。値上げせざるを得ない逆境のなか、見事に価格を維持したのです。

[HISTORY 8] 昭和60(1985)年 茶色のびんは世界をめぐる。

[HISTORY 8] 昭和60(1985)年 茶色のびんは世界をめぐる。

UAE・ドバイの売店と中東で販売されているオロナミンC

オロナミンCを象徴する独特な形状の茶色のびん。この茶色のびん、海外で目にした方もいるのでは。実はすでに昭和60(1985)年からオマーン、バーレーン、カタール、クウェートといった中東各国でも販売。UAE(アラブ首長国連邦)ではメジャー飲料として広く愛されています。

[HISTORY 9] 昭和61(1986)年 ある事件を機に素早く変更されたキャップ。

[HISTORY 9] 昭和61(1986)年 ある事件を機に素早く変更されたキャップ。

発売当初に採用された王冠式のキャップは、昭和46(1971)年にはスクリューキャップに変更されます。ところが世間を騒然とさせた異物混入事件の発生を受け、昭和61(1986)年、一度開けると閉め直せないマキシキャップに変更。当時小容量のびん飲料のほとんどがスクリューキャップを採用するなか、マキシキャップへの素早い変更は、お客さまの安全や利便性を第一に考えた対応として、多方面から高い評価を受けたのです。

左から矢印の順に、王冠タイプ、スクリュータイプ、マキシタイプ、樹脂製リング

[HISTORY 10] 地球温暖化防止に貢献する茶色のびん。

[HISTORY 10] 地球温暖化防止に貢献する茶色のびん。

原料を1500℃以上の温度で溶かし、びんを成形する

年間約5億本以上が生産されるオロナミンCのびんはその多くがリサイクルされています。そのため資源は節約され、原料を溶かす時間が短縮されることで、燃料も節約されます。また、オロナミンCのびんを生産する工場の一部では、すでに重油から、CO2(二酸化炭素)の発生量が少ない都市ガス(LGN)へと燃料を変更。茶色いびんは、省資源エネルギーやCO2排出量削減など、地球温暖化防止に貢献しています。

[HISTORY 11] 40年以上も変わらない比類なきロングセラー。

[HISTORY 11] 40年以上も変わらない比類なきロングセラー。

今もほとんど変わらないボトルデザイン、左が発売当初、右が現在

カテゴリー的にだれでも飲める美味しい炭酸栄養ドリンク。手になじみやすい大きさとフォルム。美しさに加え濡れても滑らないようにとほどこされたびんのダイヤカット。ひと目でわかる特徴的な商品名ロゴや赤いラベル。「元気ハツラツ!」のキャッチコピー。昭和40(1965)年の発売当初から現在まで、そのほとんどが変わらない、他に類を見ないロングセラー。それがオロナミンCなのです。

[HISTORY 12] オロナミンC販売の歴史

[HISTORY 12] オロナミンC販売の歴史

年間販売本数1億本突破 昭和47(1972)年12月
累計販売本数50億本 昭和56(1981)年7月
最高月間販売本数1億5200万本
累計販売本数100億本 昭和60(1985)年12月
累計販売本数150億本 平成2(1990)年9月
最高年間販売本数11億7000万本 平成3(1991)年3月
累計販売本数200億本 平成7(1995)年7月
累計販売本数250億本 平成13(2001)年11月
累計販売本数300億本 平成23(2011)年5月18日

[HISTORY 13] 平成23(2011)年 累計販売本数300億本突破で記念日決定!

[HISTORY 13] 平成23(2011)年 累計販売本数300億本突破で記念日決定!

平成23(2011)年5月18日。発売から46年の歳月をかけてオロナミンCは小容量ビタミン含有飲料として国内で初めて累計販売本数300億本を突破しました。これを記念し、商品名にちなんだ「ナミの日」、つまり 7月3日を「オロナミンCの日」として、日本記念日協会に登録を申請し、承認をいただきました。ちなみに申請・承認日は300億本を突破した平成23(2011)年5月18日です。

累計販売本数300億本 「元気ハツラツ!」はこれまでも。これからも。 安易な商品変更に頼らず、常に時代やトレンドにあわせたコミュニケーションをはかることで商品の価値を保ち、発売から46年を経た今も、世代や性別を超えて広く支持される国民的飲料として親しまれているオロナミンC。みなさまのおかげで到達した国内累計販売本数300億本到達を機に、これからも世代を超えて「元気」をつなげていき、日本中に元気をあふれさせる存在でありたいと考えています。

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