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出産したらもう一線で働けない  徳島研究所研究員 金光佳世子

職場に当たり前に先輩ママがいて
活躍をしている、という幸せ。

「もっと早く戻ってくればよかった」
復職した時、金光は即座にそう思った。2002年は大塚製薬への転職と結婚とが重なり、東京から徳島へ転居した。2003年には妊娠が判明し、2004年の4月から産休と育休をとった。慣れない土地に来てから2〜3年の間に慌ただしく変わる環境。もちろん幸せに包まれた環境変化だったが、同じような境遇の知り合いを作る時間もないままの出産だった。
「出産も育児も初めてですから、不安や心配がいろいろありました。でも身近にママ友もいない。きちんと休めて、しっかり復職できる恵まれた環境ではあったけれど、心細い1年間でした。それが復職したら同じ部門に先輩ママが何人もいて、なんでも相談に乗ってくれたんです。心からホッとしましたよ」

大塚製薬の場合、社員の出産・育児にあたっては休暇だけでなく様々な制度が整っている。徳島研究所ならば保育所も敷地内に設けられている。だが、新米ママにとって何より心強かったのは「出産後も活躍している同僚が身近にいる」ことだった。

子どもを持ったからこそ手に入った成長。

子どもを持ったことで、仕事にも何か変化はあったのだろうか?
「昼休みとか、空き時間にはママ友トークをしたりしますが(笑)、子どもの有無を特に意識することはありません。ただ、保育所に子どもを預けている社員の場合は、お迎えの時間がありますから、それまでにきちんと仕事を終わらせるペース配分をするので、すぐにわかりますけれど(笑)」
金光の時もそうだった。そして、この時の経験が良い変化を自分にもたらしたという。

「お迎えの時刻までにやるべきことをしっかり終わらせる。そのためには常に整然と研究を進めなければいけなくなりました。自分一人の力ではどうにもならないケースもあるんですが、そういう時には上司や同僚が快く力を貸してくれました」 勝手に一人で抱え込みがちだった仕事ぶりが、子どもを持ったことで変わった。上手にまわりを頼り、力を貸してもらいながら事を進められるようになった。仕事の質も上がった。
「皆のおかげで自分がいる。そう思えるようになりました。これって成長ですよね。心底感謝をしています」

博士号チャレンジ。
「私が結果を出さなければ後が続かない」

子育てを支援する制度や施設は行き届いているものの、仕事において特別扱いはない。それが大塚製薬。家庭と仕事とのバランスをどう取っていくかは本人次第だ。だから、家庭の状況さえ許せば復職後にバリバリ働くことだってできる。金光もまたその1人。2009年からは、博士号取得のため母校・東京大学へ2年間留学をした。

「チャレンジできる年齢などの条件が揃えば、子どもの有無とは関係なく『どうしますか』と打診をしてもらえる。『あなたはお子さんがいるから』みたいな特別扱いを受けない自由がこの会社にはあって、私は素晴らしいと思っています」
子どもも大きくなり、夫も賛成してくれた。金光は迷わず「留学します」と答えた。
「実はそこまで話が進んでから初めて知らされたのが、『子どものいる女性研究員としては初の挑戦になる』ということでした(笑)」
驚いたのは事実だが、決心は変わらなかった。むしろ「私が頑張って結果を出さなければ、後が続かなくなるのね」と思った。静かに、でも熱く、奮い立った。

ささやかだけど夢があります。

その後も、金光はMR職を中心に管理職志望者が多く参加する研修プログラムにも取り組んだ。上司からの強い薦めで始めたものの当初は乗り気ではなかったというが、学ぶこと自体は嫌いではない。頑張ったことで成績が上がれば素直に嬉しかった。Webを利用したプログラムとはいえ、それまで知らなかったたくさんの社員と知り合い、見聞も広がった。2012年には管理職となり、5つのグループで構成される薬物動態研究部隊の1つでリーダーも任された。振り返ってみれば2002年以来、仕事でも家庭でも次々と新しい挑戦をしてきた。そんな日々がちょっと誇らしい。
その金光が「最近、家で嬉しいことがあったんです」と微笑む。「他愛ないことなんですけどね」と言い、恥ずかしがりながらも、幸せそうな笑顔で教えてくれたのは、8歳にまで成長した長男との会話。
「『お母さん、僕、将来科学者になろうかな』って言うんです。だから『一応お母さん科学者だけど?』って返したら『ふうん』って(笑)。もうそれだけの話なんですけど」
「お母さんみたいな仕事がしたい」と、いつか子どもに言われるのが金光の夢。だからキュンとした。
「もっともっと頑張ろう」。そう心に誓った。