Otsuka People Talk

社員が語る

2014年12月

ポール・ドレーパー
リッジ・ヴィンヤーズ
CEO兼最高醸造責任者 Part 3

家族や友達との食事は、私たちの文化に残る最後の儀式のひとつだと思います。ワインはまさに、ある意味、自然の聖餐であり、食事を新たなレベルへと引き上げるものです。

Decanter Magazine誌「Man of the Year 2000」受賞者の言葉

1898年のワイン醸造所

リッジ・ヴィンヤーズの歴史は、1885年に遡ります。サンフランシスコのイタリア人社会で大立者となった人物である、医師のオセア・ペローネが、モンテベロ・リッジ(尾根)の頂上近くに180エーカーの土地を購入したことから始まりました。

1940年代になると、神学者のウィリアム・ショートがペローネ畑のすぐ下にあったワイナリーとブドウ畑を購入。畑は打ち捨てられた状態でしたが、ショートは1940年代後半に、いくつかの区画にカベルネ・ソーヴィニョンを植えなおしました。そして1959年、今日「ミドル・ヴィンヤード」と呼ばれているショートのブドウ畑から、新しい所有者となったデイヴ・ベニオンと三人の共同経営者(全員がスタンフォード研究所の研究員)たちが、一樽の四分の三しかない「自社畑産カベルネ」を造り、このモンテベロ産カベルネは、同時代のカリフォルニアワインの中でもトップグループに入る出来栄えとなりました。

同じ畑から1960年、1961年に生産されたワインも、その優れた品質と際立った個性の両面で、1959年産に匹敵するものでした。そして自信を持った共同経営者たちは、1962年の収穫に間に合うよう、ワイナリーを再設立するのです。

初のジンファンデルが生産されたのは1964年。山の斜面を下った19世紀末植樹の小さな畑のブドウが使われました。次に、ジンファンデルが造られたのは1966年で、カイザーヴィルの初ヴィンテージとなりました。創立共同経営者たちは家族ぐるみでモンテベロの斜面を開墾し、ブドウ畑を15エーカーから45エーカーに広げていきました。ワイン造りは週末だけの仕事でしたが、くっきりとした産地個性と前例がないほどの強靭さを備えたワインが出来上がりました。1968年には年間生産量が3,000ケース弱にまで増え、そして1969年、ポール・ドレーパーが共同経営者として新たに参画しました。

ポール・ドレーパー

スタンフォード大学で哲学を修めたドレーパーは、チリの海岸地域におけるワイナリー建設プロジェクトから離れ、カリフォルニアに戻ったところでした。彼は実践の中で学んだ醸造家であり、正規の醸造学教育は受けていません。しかし、ドレーパーの持つ高級ワインの知識と伝統的な手法によって、リッジがカルフォルニアの地で先鞭をつけた「人手を加えない」というシンプルなアプローチがさらに強められていきました。ドレーパーの指揮のもと、老朽化していたペローネのワイナリーが改装され、最高のブドウ畑が賃借または購入されました。こうして品質は高いレベルで安定し、リッジのワインは国際的な名声を得るに至りました。生産量の大半を占めているのはカベルネとジンファンデルですが、他にも若干量のシラー、グルナッシュ、カリニャン、ペティト・シラーなどがあります。赤ワインのワイナリーとして知られるリッジですが、1962年以来、限られた量のシャルドネも生産し続けています。

リットン・スプリングス

リットン・スプリングス・ワイナリー

ソノマ郡にあるリットン・スプリングスの畑も、1991年にリッジの自社畑となりました。25年にわたってそのブドウでワインを造ってきた経験から、卓越した土地だと確信したからです。カイザーヴィルの畑でも40年以上ワインを造っていますが、こちらもまた適地適品種の驚くべき一例です。禁酒法撤廃後の1960年代前半、カリフォルニアのワイン造りが現代化した時代に設立されたリッジは、テクノロジーよりも自然と伝統に重きを置いています。我々のアプローチは正攻法です。すなわち、強い風味にあふれたブドウを探し、必要な時しか人手を加えず、果実の際立った個性と豊かさをワインへもたらすといったものです。