HISTORY
オロナミンC ヒストリー
みなさんご存知のオロナミンCの、
あまり知られていない歴史をご紹介。
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2021[令和3年]
- ラベルレスボトル、新登場
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国内累計販売本数が350億本を突破しました。
さらに、現在の製品に加えてラベルレスボトルを発売。
本来、びんはラベルを剥がさずにリサイクル※することができますが、
全国の方々にご愛飲いただく中で、「ラベルを剥がしたい」というご要望が多く寄せられるようになりました。
その声にお応えし、製品開発を進め、ラベルレスボトル(一部通販サイト限定販売)が誕生しました。※分別回収に際しては、お住まいの自治体のルールをご確認ください。
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1961[昭和36年]
- 革新的だった「炭酸」
という新発想 - 「元気ハツラツ!」でおなじみのオロナミンC。その開発の歴史は今からなんと50年も前、半世紀前となる昭和36(1961)年。大塚製薬初のドリンク剤「グルクロン酸ビタミン内服液」、翌年同時発売の「キングシロー」「クインシロー」まで歴史を遡らなくてはなりません。困難を極めた開発。そこに光を与えたのが「炭酸のさわやかさ」という、それまで誰も思いつかなかった革新的な新発想だったのです。
- 革新的だった「炭酸」
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1965[昭和40年]
- 「オロナミンC」製品名
誕生秘話 - 「炭酸」という革新的なアイディアで開発の糸口をつかみ、「おいしいドリンク剤」を追求した結果、ついに昭和40(1965)年、革新的な炭酸栄養ドリンク「オロナミンC」が誕生。製品名には大塚製薬の大ヒット製品「オロナイン軟膏」の「オロナ」と、豊富に含まれた「ビタミンC」の「ミンC」を取って「オロナミンC」と名づけられ、一人でも多くの方々に愛飲されるドリンク剤を目指し、歴史的一歩を踏み出したのです。
- 販売困難という壁はこうして
乗り越えられた - 「身近なところから消費者を」という方針のもと、オロナミンCの営業マンは従来の取引先を中心に、よく冷えたサンプルの配布に努めます。ところが、主要販売先である薬局系ルートでは、清涼飲料水であるオロナミンCは販売困難という壁に直面。そこで食系小売店、交通機関、病院、学校、スポーツ施設、遊技場、浴場など、当時未開の地であった販売ルートを、一軒ずつ地道に開拓していったのです。
- 「オロナミンC」製品名
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1966[昭和41年]
- 「もう一度飲みたい」と
感じてもらうために - 販売網の開拓、ホーロー看板やテレビCMによる宣伝活動とともに、「一度でも飲んでもらえれば、確実に次の需要に結びつく。また、飲んだ方が他の方にも薦めてくれる」として、各所でサンプリングによる製品価値の伝達を行った結果、もう一度飲みたいという気持ちをお客さまに感じてもらえる製品となったのです。それを裏づけるエピソードとして、オロナミンC発売の昭和40(1965)年、徳島県阿南市内のうどん店に、お子さんが一人でオロナミンCを買いに。実はこの子、向かいの薬局の息子さん。親にねだれば他社のドリンク剤がもらえたのに、わざわざオロナミンCを指名してきたんだとか。こうしてオロナミンCは、その評価を高めていきました。
- 「もう一度飲みたい」と
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1970[昭和45年]
- 年間売上1億本突破せよ
- オロナミンC発売から5年を経た昭和45(1970)年。アジア初の大イベントとなった大阪万博で決行されたのが「万博作戦」と呼ばれたミッションでした。場内では全売店180店中実に105店でオロナミンCを販売、場外では大阪周辺のみならず北海道~鹿児島の各交通関連施設で販売を強化。作戦は功を奏し、2年後にはついに年間売上1億本を突破。「万博作戦」の努力は、こうして実を結んだのです。
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1972[昭和47年]
- 牛乳? 卵? ウイスキー?
新感覚な飲み方 - 「老若男女を問わず愛され、家族みんなに飲んでもらえるドリンクになる」という信念とともに成長したオロナミンCが、大阪万博以降さらに人気を高めたのが新しい飲み方の提案でした。牛乳と合わせた「オロナミンミルク」、卵黄を混ぜた「オロナミンセーキ」、ウイスキーを割った「オロナミンウイスキー」などが話題に。昭和47(1972)年の大村 崑さんが家族でオロナミンCのカクテルを楽しむCMもこの頃です。
- 牛乳? 卵? ウイスキー?
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1973[昭和48年]
- オイルショックの
ピンチを救った英断 - 一般的なジュースが35円だった昭和40年代、オロナミンCは100円にもかかわらず売上は堅調でした。ところが昭和48(1973)年のオイルショックが与えた混乱の影響はオロナミンCにも及ぶことに。そこで講じられたのが最新生産システムの導入。なんとあえて設備投資をすることで効率化を実現し、原料高騰によるコストアップを吸収。値上げせざるを得ない逆境のなか、見事に価格を維持したのです。
- オイルショックの
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1985[昭和60年]
- 茶色のびんは世界をめぐる
- オロナミンCを象徴する独特な形状の茶色のびん。この茶色のびん、海外で目にした方もいるのでは。実はすでに昭和60(1985)年からオマーン、バーレーン、カタール、クウェートといった中東各国でも販売。UAE(アラブ首長国連邦)ではメジャー飲料として広く愛されています。
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1986[昭和61年]
- 「安全性・利便性」を第一に
考えて
変更したキャップ - 発売当初に採用された王冠式のキャップは、昭和46(1971)年にはスクリュータイプに変更されます。ところが世間を騒然とさせた異物混入事件の発生を受け、昭和61(1986)年、一度開けると閉め直せないマキシタイプに変更。当時小容量のびん飲料のほとんどがスクリュータイプを採用するなか、マキシタイプへの素早い変更は、お客さまの安全や利便性を第一に考えた対応として、多方面から高い評価を受けたのです。
- 「安全性・利便性」を第一に
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2000[平成12年]
- 発売35年目に
オロナミンCロイヤルポリスを
発売 - オロナミンCが発売された昭和40年当時、栄養ドリンクは肉体に鞭を打ち、頑張らなければいけないときに飲用するというイメージがありましたが、それも時代とともに変化してきました。そこで、新たな付加価値をもった栄養ドリンクの開発に着手。「普段の健康維持」、「ビタミンの補給」に焦点を当て中高年層に関心の高い「ローヤルゼリー」、「プロポリス」、「ハチミツ」に加え、「ビタミンB1」を含有する新製品、『オロナミンCロイヤルポリス』が誕生しました。
- 発売35年目に
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2011[平成23年]
- 累計販売本数300億本突破で
記念日決定! - 平成23(2011)年5月18日。発売から46年の歳月をかけてオロナミンCは小容量ビタミン含有飲料として国内で初めて累計販売本数300億本を突破しました。これを記念し、製品名にちなんだ「ナミの日」、つまり 7月3日を「オロナミンCの日」として、日本記念日協会に登録を申請し、承認をいただきました。ちなみに申請・承認日は300億本を突破した平成23(2011)年5月18日です。
- 累計販売本数300億本突破で
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2015[平成27年]
- オロナミンC発売から
50周年!! - 発売から50年を記念し、オロナミンC ROYALPOLISがさらに美味しくなって新登場!
- オロナミンC発売から
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2018[平成30年]
- 海外展開をさらに拡大!!
- これまでも世界で愛されてきたオロナミンC。2018年、インドネシアでの販売を開始。現在、日本を含め9ヶ国・地域で展開されています。
[オロナミンCの海外での販売国・地域]
UAE / オマーン / カタール / バーレーン / クウェート / 韓国 / 香港 / インドネシア
- 50年以上も変わらない
比類なきロングセラー - カテゴリー的にだれでも飲めるおいしい炭酸栄養ドリンク。手になじみやすい大きさとフォルム。美しさに加え濡れても滑らないようにとほどこされたびんのダイヤカット。ひと目でわかる特徴的な製品名ロゴや赤いラベル。「元気ハツラツ!」のキャッチコピー。昭和40(1965)年の発売当初から現在まで、そのほとんどが変わらない、他に類を見ないロングセラー。それがオロナミンCなのです。