ULOS Questions

生きるを問い続ける。

これからの時代の「いいキャリア」ってなんだろう?

藤田 晃之|教育学者/筑波大学人間系教授

筑波大学人間系教授・藤田晃之さん。氏が専門とするキャリア教育は、その重要性が近年各所で叫ばれる一方で、まだ極めて月日の浅い研究領域であるといいます。日本における「キャリア」という概念の成り立ちと変遷、それを教育することの意義を踏まえつつ、これからの時代のキャリア、ひいては「自分らしい生き方」がどうあるべきなのかを問います。
Profile
藤田 晃之 (ふじた てるゆき)|教育学者/筑波大学人間系教授

1963年茨城県生まれ。専門は教育学、進路指導・キャリア教育研究。中央学院大学、筑波大学教員を経て、2008年より5年間、文部科学省国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センター総括研究官、及び、同省教科調査官・生徒指導調査官を任官。キャリア教育に関わる調査・研究と施策推進に携わる。

Careerとは、本来「人生の“轍(わだち)”」を描くこと

――いま所属をしておられる「キャリア教育学研究室」は、まだそれほど年数の経っていない、比較的新しい組織だそうですね。

藤田:設置が決定したのが2013年、研究室がスタートしたのが2015年ですね。

――「キャリア教育」という研究テーマそのものは、もっと昔、例えば先生がまだ大学生・大学院生の頃からあったのでしょうか。

藤田:アメリカやイギリスでは、かねてからキャリア教育という言葉・概念がありましたが、日本では「進路指導」という言葉がそれに代わるものとして定着していったんですね。この進路指導は、本来今日におけるキャリア教育と概念的には一緒であるはずなのですが、教育現場では「このままじゃいい大学に入れないぞ」といったことばかりが優先されるのが実態でした。文部科学省としては、前身の文部省時代からずっと、もう何十年もそのことを懸念し、本来あるべき進路指導≒キャリア教育について啓発してきたものの、いい高校に行っていい大学に行って――という固定観念が根強いのもまた事実ですよね。

――“Career“は、日本語においてもそのまま「キャリア」として発されることが多いですが、本来もつ意味合いについて教えて頂けますか。

藤田:Careerは、ラテン語の“Carraria”(カラリア)という言葉が語源となっています。これは「轍(わだち)」という意味を表すのですが、つまり、車の通り道に跡ができるかのように、人がたどる足跡、経歴を指すものになっていったんです。

藤田 晃之

“Career“と「キャリア」

――その言葉や概念が、どういった経緯で日本に入ってきて、そして普及したのでしょうか。

藤田:もともとアメリカで“Vocational Guidance”というものが広まっていて、大正時代、現地を視察した日本の研究者が「これはいいことやっているね、日本でも必要だよね」といってもちかえったんですね。ただ、vocational guidanceに相当する日本語が当時存在しなかったので、vocationalを「職業」、guidanceを「指導」と訳し、「職業指導」としてスタートした。後にアメリカではこのVocational Guidanceが“Career Guidance”に発展していったのですが、careerを「進路」と訳すことで「進路指導」というものができました。元々、アメリカから持ち込んできたものであるわけですから、Career Guidanceも進路指導も、根っこにある理念は同じなんです。

――Careerとキャリア、根っこは同じであるとはいえ、日本の社会動向に応じてそのありようが変化していったと。

藤田:昭和30年代、高度経済成長の時代のなかで、企業各社は市場の多様なニーズに応えるべく、会社組織の規模を大きくしていくこととなりました。企業内に抱える人の数を増やし、ある部署の人材が不足したら、外からではなく社内の別の部署から補填をして――という慣例が定着していく。これがいわば「ジョブローテーション」の始まりともいえるでしょう。
企業としては、特定の資格や専門スキルをもっていることより、どんな部署・職種でもある程度こなせるような地頭の良い人材を求めるようになります。「いい高校、いい大学」というものが、地頭の良い人材を効率よく集めるうえで機能を果たしたんです。そうすると逆に教育現場側から考えると、いかにいい高校、いい大学に生徒を送り込んでいくかということが指標化していくことになった。これが“日本における“進路指導の成り立ちですね。

藤田 晃之

――でも、そういったエコシステムといいますか、日本型雇用なるものも、時代とともに少しずつ機能しなくなっているとも言われますよね。

藤田:日本型雇用が従前的に動き続ける前提は「潤沢な内部留保」なんです。企業において、人材育成にかかる予算というのは膨大ですから。経済成長期においては、大きな利益を上げ、ガバッと地頭のいい若者をとって、それぞれの部署で育て、その人がまた利益を上げて――ということが可能だったわけですが、バブル崩壊以後の不況下においては、それが立ちゆかなくなった。新卒一括採用だけでなく中途採用の比率も増えるし、リストラの割合も増えていきました。
一人一人のキャリア形成の観点からみると、「いい学校を出ていい企業に入りさえすれば、あとのキャリア形成は会社に任せとけばいい」というわけにはいかなくなり、自分の人生を自分で切り盛りせざるを得ない状況になっていったということです。

「暗中模索」の時代

――そうやって、社会で求められる人材に変化が出てきたなかで、学校教育側に目を向けたときに、進路指導のあり方が変わったり、本来あるべきキャリア教育が広まったりしていっているのでしょうか。

藤田:ちょうどいま過渡期にあると思います。「キャリア教育」というものが、小学校からすべての学習指導要領に載るようになったのはここ数年のことで、言葉自体の市民権をやっと得始めた、というのが現状なんです。ただ言葉が市民権を得たからといって、その理念が小・中・高と教員のあいだで浸透しているかというと時間がかかる。
いい高校、いい大学を出て――という観念が揺らいでいるとはいえ、それに取って代わる別の確固たる選択肢があるかというと、ないわけで。そうすると「やっぱり受験だよね」となってしまう。

――学校側が評価されやすい指標として、大学などへの合格者数が依然として用いられやすいということでしょうか。

藤田:そうなんです。揺らいでいるとはいえ、いい学校に行くことが「絶対ではなくなりつつあるけど、損はしないよね」というのが親御さん方からのニーズであることもまた事実です。旧来のセオリーが揺らいでいる、でも一方でそれに代わるコンセンサスがあるかというとそうでもない。そうした暗中模索の時代のなかで、結果的に学校としてはいい高校、いい大学に対する何十年ものノウハウもあるわけですから、そちらを優先することになる、ということなんですよね。

藤田 晃之

世の共通認識が揺らぎつつある一方で、旧来のコンセンサスもある程度機能し続けている。過渡期」であると藤田氏はいいます。そんな時代にわたしたちは、いい学校、いい会社、そしていい生き方を、果たして見いだすことができるのでしょうか――

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