ULOS Questions

生きるを問い続ける。

生き方を変えるヒントは、自分のからだの中にある?

藤田 晃之|教育学者/筑波大学人間系教授

生き方・働き方が多様化するなかで、選択肢は増えた一方、自分にあった道をどのように選ぶのかが一人一人に試されている時代でもあります。キャリア教育研究の第一人者・藤田晃之さんとともに、これからの時代の「よく生きる」とはなんなのか、それを考えるためのTipsについて対話しました。

Profile
藤田 晃之 (ふじた てるゆき)|教育学者/筑波大学人間系教授

1963年茨城県生まれ。専門は教育学、進路指導・キャリア教育研究。中央学院大学、筑波大学教員を経て、2008年より5年間、文部科学省国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センター総括研究官、及び、同省教科調査官・生徒指導調査官を任官。キャリア教育に関わる調査・研究と施策推進に携わる。

生き方が多様化する時代。それは決して「成熟」とは言い切れない

――過渡期ともいえる時代のなかで、いわゆるいい高校、いい大学、あるいはいい会社みたいなものって、今後成立するんでしょうか?

藤田:まったく成立しなくなるとも言い切れないですけど、偏差値が高いとか、給与が高いとか、そうした単一的な要素だけで「良さ」に関するコンセンサスがとれる時代ではなくなっていくんでしょうね。“わたしにとって”とか“うちの家族において”みたいなことが、キャリア形成において一層重要になっていくということです。
たとえば、家族との時間を大切にしたいから転勤をすることは避けたいという人にとって、たとえ給料や手当をたくさんもらえたとしても、単身赴任を強いられてしまうのであれば、それは「いい会社ではない」という結論になりますよね。

――“わたしにとって”の重要性が増しているのは頭ではよく理解できます。ただ一方で、人と比べてああだこうだと考えてしまうのも人間の“性”だと思うんです。

藤田:これはキャリア形成に限らず、何事においてもそうですけど、他者との比較要素たりうる「世の中一般に受け入れられる良さ」みたいなものは、時代が変わっても残っていくと思うんです。しかしそれが、私たちの行動を束縛するかのような“ノルマ”として存在し続けるかというと、「そんなの私には関係ないよ!」と言える強さをもてる人が増えつつあるのではないかと。それによって誰しもが指標を置く良さというのが徐々に揺らいでいくんだろうと思います。

――それは社会にとっての「成熟」なのでしょうか。それとも「変化」なのでしょうか。

藤田:「変化」なんだと思います。成長や成熟というのは、それこそ善し悪しを決めるための一つの指標を置いたうえで、良い方に向かっていれば社会が成熟したといえる。今の世の中をみてみると、選択肢が多様化していきつつあるという事実はあるものの、それが良いんだか悪いんだかよくわからないという状態にあると感じます。多様性の時代に「成熟」したのではなく、あくまで「変化」した。

藤田 晃之

情報はある。あとは、失敗も想定済みで「踏ん切り」がつけられるか?

――「偏差値がすべてではない」という価値観も広まりつつある。一方で「○○県で一番“いい”高校といえば、東大に多く合格者を出している△△高校だよね」という空気感も依然としてある。ナンバーワンとオンリーワンが混在するなかで、大人も子どももどうすればいいのか――という状況だと感じます。

藤田:おっしゃるとおりですよね。過渡期といえる時代にあって「選ぶということが怖い、選びきれない」という人も数多いと思います。そういった意味で、手前味噌ではありますけども、キャリア教育の役目はそこにあるのではないかなと。親御さんのような、がっつり身内という立場ではない“斜めの視点”で、話を聞いたり情報を与えたりする立場の人間も必要なのだろうと痛感します。それは子どもだけではなく、大人も含めて。

――大人も含めてとおっしゃっていただきましたが、20~30代ぐらいはまさに狭間の世代だと思うんです。学生時代は旧来的な価値観・尺度の残るなか育った一方、多様化の時代を迎えるなか戦い方を変えなければならない。

藤田:たしかにそう思います。思いますけど、インターネットの普及もあって、触れる情報の数量は圧倒的に増えたなか、ロールモデルとなりうる生き方に出会う機会も増えたはずなんです。あとは、そこに「踏ん切り」をつけられるかどうか。

――踏ん切り、ですか・・・・・・?

藤田:これは私事で恐縮なのですが、一度筑波大学を離れて、文部科学省に行くこととなった時期がありました。前任の方が急遽、地元の和歌山県に戻って重要な職務に就くことが決まって、「無理は承知なんだけど――」と声をかけてくださったんですね。同僚も恩師もみんな反対でした。「筑波で後進を育てることが役目だろ」と。
でも、前任者の離任が決まったのが年度替わりの直前で後任者がなかなか見つからず、そのままいくと少なくとも半年はその職が空位になりかねない。そうするとキャリア教育に関する予算を動かす人が居なくなり、いくばくかの予算が未執行になることが決定的になってしまうわけです。これは教育界にとって問題だと。結果、反対を押し切って文科省に行くことにした。そのとき「踏ん切った」んだと思うんです。今考えたら、無鉄砲で、自分の力量も顧みずによくそんなことやったなと感じますけど、無我夢中だったんでしょうね。

――失敗したらとか、そういうことは考えなかったですか?

藤田:キャリア教育でよく言われるのは「リスクテイキングをしないでキャリアは描けない」ということ。踏ん切りをつけられるかが大切な一方で、踏ん切ったら失敗はつきもの。だからこそ、どんな失敗が起こりうるのか想定しながら、どこかで覚悟を決めて前に進んでいくことが大事なんだと思います。
ただし、生活上の何らかの理由で、容易にリスクを取ることが出来ない人が一定数おられるのもまた事実です。そうした存在にも配慮しながら、自分らしい生き方を歩むことができる社会をつくっていかないといけないですね。

藤田 晃之

生き方を変えるヒントは、 “からだの”変化にある?

――忙しい毎日のなかで、キャリア、あるいは自分の生き方を客観的に考えるための、何かきっかけってどのように見いだすと良いと思われますか?

藤田:ふと気づいた自分の体の変化を通して、日々の習慣や生き様を考え直す、ということが大切だと感じます。私で言うと、35歳の頃、気がついたらズボンのサイズが1つ2つと大きくなっていった、みたいな。それは単に身繕いの問題だけでなく、生活をどうするか、生き方はどうあるべきか、といったことに通じるのではないかと。生物としての、身体的な変化っていうのが意外と大きいなと私は思います。

――すごく心当たりがあるなと思う一方、想定していたより身体的というか動物的な回答をいただいたなと、ちょっと驚いています。

藤田:だって、去年買ったはずのズボンがあるとき急に入らなくなったんですよ!? 何事かと思いましたね(笑)。そういう日常の変化に気づいたとき、気付きっぱなしにしないで、ちょっと引いた視点で「何か変えられるところはあるかな?どうしたらいいかな?」って。考えるヒントがそこにはあるはずです。思春期にニキビができたり、体つきが急に変わって成長痛を経験したりする時期、まさに将来に思い馳せて悩みまくるのも偶然の出来事ではありませんよね。

藤田 晃之

――ありがとうございます。身近なところから生き方を問い直す手立てをいただけたなと。最後にお尋ねしたいのですが、キャリア形成もさることながら、「よく生きる」ということ。その定義を藤田先生はどのようにお考えですか?

藤田:アメリカの詩人・哲学者である、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)という人が、成功とは何かを記した作品のなかで、こんなことを書いているんですね。

私の存在によって、この世でたった一人でも気持ちが安らいだ人がいることを知ること
それができたら、人生は成功だったといえる

多くの人は、大それたことができるわけではない。でも、自分が居たことによって、周りの誰かを一人でも幸せにできたと実感できるのであれば、それは幸せな人生なんだろうなと。私自身、誰をどう幸せにできたのか、できるのか、まだ明確な答えは出ていないのですが、死ぬときにそう思えるよう、よく生きていきたいですね。

ウル・オス