大塚製薬のビジョン

隅から隅まで創造性

代わりに、治療薬の研究所を
つくってはどうですか?
1970年、そのころ日本ではボウリングが一大ブーム。大塚正士率いる取締役がボウリング場の建設を決断しようとする中、一人が反対の声を上げた。それは、大塚正士の息子で、3代目の大塚明彦だった。

「お父さん、ボウリング場経営は、将来会社を支えるに足る事業となれますか?」「代わりに、治療薬の研究所をつくってはどうですか?」

徳島工場が建設された1970年のある日、グループの経営会議で新たな投資先の議論が行われ、当時流行していたボウリング場建設の話が進んでいました。この折、大塚明彦(のちに大塚ホールディングス代表取締役会長、大塚製薬取締役会長)は「ボウリング場は将来製薬会社を支えるに足る事業となるか」と問いかけ、代わりに新薬開発のための研究所設立を求めました。もしこの時、この意見が受け入れられていなければ、大塚の医薬品事業はなかったかもしれません。

創薬研究を提唱した大塚明彦
(当時:徳島工場長)

研究所設立当時に植樹された楠