こんにちは、ランニングサポーターの久保です。
まだまだ先の見えないコロナ禍です。今後のレースも開催されるかどうかは定かではありません。このような状況はしばらく続いていくように思います。
目標や目的がハッキリしていると走ることを継続したり頑張れるキッカケになります。ダイエットもそうですし、ランナーであればレースがあるのとないのとではやる気にも雲泥の差が出てくるでしょう。
そういった意味で「コロナ禍」はランナーのモチベーションに対しての大きな分岐点となっています。
私の身の回りでは、走っているランナーと走らなくなったランナーの、大きくふたつに分断されたように思います。
どういったランナーが今でも走り続けているのか?
またどういったランナーが走らなくなったのか?
それらを紐解くと私自身にも思いあたるところがいっぱいです。
今でも走り続けているランナーがこんなことを言っていました。
「こんなレベルですが、もう少し速くなりたいんですよね。」
レースもあるかないか分からないにも関わらずです。他にもインターバル走などの追い込み系練習はしないけれど、自分なりのマイペースで走り続けるランナーもいます。これらのランナーの傾向としては、これまで培ってきた体力を落としたくない、維持させたいという動機をもっていることがあげられます。これは私と一緒ですね。
逆に走らなくなったランナーはというと。。。
コロナ禍にあることが1番の理由かもしれませんが、体力が一気に落ちてしまったから走れない、だから続かないだろう、走る一歩が踏み出せなくなってしまった、そんなことを感じているランナーも中にはいます。しかし全く走らなくなったかといえばそうでもなく、定期的ではないけれど週に1回、または半月に1回、月に1回などのペースで走っているランナーも沢山います。走る頻度が極端に少なくはなりましたが、やはり走ることに魅力を感じているのは確かで、このコロナが収束したら…と思っている傾向も強いように感じます。そんなランナーたちともまた一緒に走れたら嬉しいと感じる日々です。
なぜ走るんですか?
そんな問いに私はこう答えています。
「困難によって成長するためです」
これまでもそうでした。成長するためには(速くなるためには)、あえて練習にキツいメニューを取り入れて、自らが困難を造り出していかなければなりません。それにより意味ある今が実現されると思ってきました。
決してキツいことを強要しているつもりはありません。困難と思えることにこそ、成長があると思えるから人は頑張れるのではないのでしょうか。
年齢を重ねれば衰えていくのは必須。今の状態を維持していくだけでも困難なことです。有ることが難しい、当たり前にいられることこそ「有り難い(ありがたい)」。走ることとは実は自分にとってとてもありがたい行為なのかもしれませんね。