齋藤薫のエクエルダイアリー

Vol.03何の趣味も持っていないのは、
恥ずかしいの?

40代位まで、「ご趣味は?」と聞かれると、いつも困っていた。「特に趣味はありません」。そう答えることにやっぱり抵抗があったから。実際、”趣味がない“って、なんと言うか、人として奥行きがないというか、文化がないというか、面白みのない人生というか、どこから見ても、あまりイメージは良くないから。

そもそも履歴書などにも趣味を書く欄があったりして、そこに「なし」と書くのは相当な勇気がいる。嫌でも精神的なレベルを測られてしまうから。何となく、読書とか音楽鑑賞とかありきたりのことを書いてしまった記憶もあるくらい。

かくして私は長い間、趣味がないことが1つのコンプレックスだった。私はよくよく面白みのない人間と、心の中でちょっと恥じていたくらい。

でも、そんな時にある人が、「私、趣味なんて全然ない。仕事が楽しいし、そのくらい日々が充実しているから」と堂々と言ったことにハッとさせられた。なるほどそう思えば良いのだと。

さらに年齢を重ねて思うのは、人にはそういう時期があってもいいと言うこと。仕事が忙しくて、日々に追われてと、趣味を持つまでの心のゆとりも、また時間のゆとりもない、そういう時期があっても構わないし、ましてやそれは、決して恥ずべきことではないと言うことだった。

なぜなら一つに、年齢を重ねるととても自然に夢中になることが生まれてくるものだから。自分の場合も、50代で生まれて初めてオッカケしたくなるような人が現れた。たまたまだけれど、ジャンル違いで、3人も。実際にはまだ、世界を股にかけて追いかけたりはしていないけれど、気持ちの上では“沼”にハマっている状態。少なくとも、ポップス系のアーティストにこうした形ではまるのは、生まれて初めてのことだった。

趣味と言えるほどのものではないけれど、学生の頃以来、再び楽器を触るようになり、人間やっぱり長く生きれば、自然に心の隙間ってできてくるものなのだと改めて感じ入っているのだ。
そう、逆に言えば、年齢を重ねるほどに心がヒマになりがち。歳をとるごとに1年を短く感じるのも、多くのことを既に体験してしまっているから。そういう意味で、人生に慣れてくるほどに心に自然に隙間が現れる、その時すかさず夢中になれることを差し込むのが、上手な生き方のコツであると言っていいと思うのだ。

さらに言えば、仕事の忙しさそのものに幸福感を感じる時代と言うのは確かにあって、そういう時はせいぜい忙しくしていれば良いし、人生が前に進んで、例えば人生が中盤まで来た時、自分自身のことを何もしていないと言うある種の焦りを感じ始めた時が、趣味の始め時、そのスイッチがスムーズにできることが大事なのだと思う。

重要なのは、今は仕事に夢中、子育てで手一杯、ともかく忙しくってと言う人も含め、心が埋まっていることが幸せの1つの条件であるということ。趣味がなくたって、幸せはちゃんと得られているはずなのだ。

妙な言い方だけど、それは消去法の幸福論。心が埋まっているときは、不安や不満、孤独感などネガティブな心が入り込めない。不幸感を感じる暇もないからこそ幸福と言うことが、じつは1つの真理なのだ。何であれ、無我夢中になることで、心を埋める……これは絶対的なハッピーの法則なのである。

趣味があろうとなかろうと、義務であろうとなかろうと、心を埋めること……それは、年齢を問わず一生幸せに生きるためのコツ、「もう忙しくって、自分の時間など何もない」そういう風に思う時、この話を思い出してみて欲しい。自分はたぶん、幸せなのだと気づいて欲しいのだ。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫

女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『だから“躾のある人”は美しい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 セカンドステージ 63の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

ダイアリーTOPへ

美と健康へのヒントが盛りだくさんコラム記事はこちら

取り扱い先

取り扱い先を調べる

公式通販サイト

ご購入はこちら