齋藤薫のエクエルダイアリー

Vol.07親しい間柄での
小さなスキンシップ……
それはお互い幸せになる、
無言のコミュニケーション

しばらくの間、人の体に触れることができなかった。もちろん今も、満員電車などで他人と体が触れあってしまうのは、お互い大いに抵抗があるけれど、親しい間柄でのスキンシップはもう解禁と考えても良いのではないだろうか。

思えばちょうどコロナ禍の直前、日本人に足りないのはハグ……というようなエッセイを書いたことがあって、非常に間が悪かったが、今改めて思うのは、人に抱きしめられることの幸せ、人を抱きしめることの喜び、それを日本人はもっと知っていて良いのではないかということ。

友人に、何かにつけて体に触れてくる人がいる。体の距離があまりに近過ぎる人と言うのは、かえって警戒されたりするものだけれど、決して距離が近いわけではないのに、本当にさり気なくスキンシップしてくる女性が。

注意して見てみると、彼女は「ありがとう」と言う時、あるいは「ごめんなさい」を言う時、相手の腕や肩に軽く触れてくる。これがなんとも心地よいのだ。
多分「ありがとう!」や「ごめんなさい!」を強く言う時の発声の勢いで、その言葉の意味を強調するように、とても自然に腕や肩にタッチしてくるから、感謝や謝罪の感情が何倍にもなって飛んでくる。どんな言葉を尽くすよりもその感触が心に響くのだ。

海外の映画やドラマを見ていて、いつもうらやましいと思うのは、例えば告別式の時など、ただただお互い抱き合う、無言のハグ。日本では「お力落としがないように」みたいな常套句があるけど、そういう決まり文句に頼るしかない位、他の言葉が浮かばない位、言葉で人を慰めるのは難しい。
そういう時に、黙って相手を抱きしめる、それ以上の心の伝え方は無いし、抱きしめられるほうも何も答えなくていいから相手の感情をより強く受け止めることができるはず。こういう時のハグは、どんなに言葉を尽くすよりも、尊いコミュニケーションだと思うのだ。

つい最近も、テニスの全仏オープンで競技中、失格になった日本の選手を、ダブルスのパートナーがひたすら抱きしめていた。そしてその試練を乗り越えた後、混合ダブルスで優勝した時も、男性のパートナーが万感の思いを込めてこの選手を抱きしめたのだ。やっぱりハグはいいものだと強く思ったもの。

もちろん、習慣になっていないハグはただぎこちないだけで、する方もされる方も気まずい思いをするのかもしれない。であるならば、背中や腕をさする……それだけで思いは伝わるはずなのだ。

ハグにおいても、相手を慰めたり讃えたり、ただの挨拶のハグとは全く違う、熱い思いを込め、溢れる感情を相手に伝えるとき、相手の背中や腕をさする姿をよく見かける。「大丈夫、大丈夫」とか、「元気を出して」とか、「よくやった」とか、「がんばったね」とか、さする行為がそういう言葉を自ずと相手に伝えてくれるのだ。

言うまでもなく触れられること、とりわけさすってもらうことには、母親が赤ちゃんの体を撫でたりさすったりすることによって、泣きやませたり、落ち着かせたり、眠らせたりするのと同じ効果があると考えていい。大人もやっぱり、触れて欲しいのだ。

どちらにしても、スキンシップが人に幸せをもたらす無言のコミュニケーションであること、もう一度ここで心に刻みつけたい。何かの時、臆せずに相手に触れる、そして相手の肩や腕をさする……それが相手の身になったタッチであれば、とても尊い行為となることに、気がつきたいのだ。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫

女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『だから“躾のある人”は美しい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 セカンドステージ 63の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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