齋藤薫のエクエルダイアリー

Vol.10推し活の幸せは、
なぜ半永久的に続くのか?

最近こんな言葉をよく耳にする。「推しがある人が羨ましい」「推し活している人がとても眩しい」。以前もこのコラムで、オタクの幸せについて取り上げたが、その時以上にオタク文化が主流となり、推しがいること、推し活にハマることが、当たり前のものになってきた。逆に推しがないことが、寂しさを生んでいたり、ネガティブな発想をもたらしたりするのではないかと思われるほど、何だか“推し活至上主義” のような流れが見えてきているのだ。

それも、推し活に勤しんでいる人の、幸せそうなことと言ったら!幸福感を得る事は何と難しいのだろうと誰もが思っていたのに、推し活はそれをいとも簡単にクリアしてしまった。それも「幸せって長続きしない」というのが、幸福論の常套句なのに、推し活は自分自身がそれを続ける限り永遠に幸せが続くというパターン。こんなに幸せと相性の良いものはないくらい。

ハッキリ言って、推し活は幸せの定義を変えてしまった。例えばの話だけれど、恋愛によって最大級の幸せを得たとしても、人間同士の関係は刻々と変わっていくだけに、同じ種類の幸せは続かない。
また仕事に成功して、大きな幸せを得られたとしても、それに慣れてしまうと、さらなる大きな成功を求めたりするから、意外に幸せは長く続かない。同じように念願の家を購入した時、インテリアを揃えるほどに幸せは増していくが、年月とともにその幸福感も薄れて行く。本当に、幸せを持続させるって難しいことなのだ。

しかし推し活の幸せは、見事に続く。揺るぎなく。もちろん推しの対象に変化があれば、推し活の形も変わるのかもしれないが、逆に、推し活にハマる人にはまた新しい推しが出来るのだろうから、どんな形であれ推し活は続く。でもそれ、一体なぜなのだろう。じつはこれこそが、推しの醍醐味……疑似恋愛は心がヒマになる時がないからなのである。

これが本当の恋愛だと、寝ても覚めても相手のことが頭を離れなかったりして、かえって厄介だけど、疑似恋愛は、他のことで忙しい時はちゃんと頭から離れて、心に隙間が空くとすかさず推しが支配し、全て埋まる。だからちょうどよく心がヒマにならないようにできているのだ。
さらに言えば、一般の恋愛と違ってこれは自分を孤独にしない。同じ志を持つもの同士、横のつながりができるからこそ余計に幸福感が高まるのだ。

そして推し活が続いてしまう決め手はもう一つ、そこに自分が相手を支えているという使命感だ。使命感というものは、ある目標が達成されるまで続くものだが、推し活に関しては目標達成というゴールがないだけに、延々と続いていくのである。それこそ、対象が充分に歳をとって、ファンの数が減ったとしても、逆にその分だけ使命感も強くなる。まさしく、心がヒマになる時がない。完璧な幸せの構造である。

昨今は、幸せ=ウェルビーイングという考え方が、一般的になってきているけれど、精神的にも肉体的にも、また社会的にも満たされている状態を言うわけで、心と体が健やかであるだけでない。例えば集中できる事柄があったり、他者のためにお金や労力を使えたり、同じ価値観を共有できる仲間がいたり、それらも幸福感につながっていくという研究がある。そういうことも含め、推し活は完璧にウェルビーイングなのである。

だから心がスカスカな状態だったら、意識して推しを作るというのも、心を埋めるひとつの方法。もちろん、その対象を心から好きにならなければ成立しない話だけれど、ちょっと探してみて欲しい、応援できる人。人生のエッセンスとして、推し活は本当に侮れない。

美容ジャーナリスト/エッセイスト
齋藤薫

女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『だから“躾のある人”は美しい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 セカンドステージ 63の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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