こんにちは、ランニングサポーターの久保です。
前回、私の身体に蝉が止まったことをきっかけに、ポジティブな思考を作り出せたというお話をしました。
文中に「調べてみるとフランスでは、蝉は幸せの象徴として縁起のよい存在のようです。また蝉は幸福を表すといわれていて、幸運な状態である人に近づいたり、これから幸運を手にする予兆として近づくといわれているようです。これは何かいいことが起こる前ブレなのでしょうか。」
と述べましたが、その後たくさんの方から「何かいいことありましたか?」と聞かれました。
先日、私の息子が怪我をし、肘の骨にヒビが入りました。さらには道で転んで頭にも怪我をしてしまったのです。あれれ…。親としては子どもが連続して怪我をすると心配なものです。そこで近くの神社でお祓いをしてもらうことにしました。
子どもがこれから怪我なく無事に過ごせますように。手を合わせてそんなお祈りしていると…、ハッと気づいたんです。
実は普通にいられることこそ幸せなことではないか。
人は忘れやすいものですね。いいことって欲を出せばキリがありませんが、怪我をしてみて健康であったことがいかにありがたいことかに気づきます。
「有り難い」とは、普通であることや当然であることが当たり前ではなく、有ることが難しいと書きます。有ることが難しい日常を、何事もなく過ごせているからこそ「ありがとう」という感謝の気持ちが生まれるんですね。まさしく幸せの青い鳥は遠くにいるのではなく、自分のすぐそばを飛んでいるものなのかもしれません。
世の中はコロナ禍で大変な状況にあります。その影響で大会が中止になったり、走ることが制限されたり。また走ることから遠ざかってしまったり。モチベーションも落ちて「良いことがないな」と感じているランナーもいるかもしれません。しかし本当に大切なことは何か、感謝すべきは何なのか、そんなことを蝉や子どもから教えられたような気がします。