私は長年、自分で髪を切っていた。それが全く自慢にもならない話で、最初は美容室に行く時間がなくて、思い切って自分で切ってみたら、何とかセーフであったので、気がついたら、それが習慣になってしまっていただけ。器用なわけでもないが、ロングヘアをカーラーで巻いていたから、何とかごまかせたのだ。これがカットこそ命のショートヘアだったら、ありえないこと。逆に言えば自分でカットするからロングを保ち、ごまかすためにカーラーで巻いていたと言ってもいい。
ちょっと本末転倒だけれど、でも一つの収穫と言っても良いのが、自分自身でやれることって、結構あるのではないか?という気づき。だからいつの間にか、髪のカラーリングも自分でやるようになっていた。
白髪が目立つようになってくると、カラーリングは定期的にやらざるを得なくなるが、いろいろ試して行き着いたのが、1回の使用で白髪がほぼ完璧に染まるカラートリートメント。週に1回、ほんの5分ほどで、いつものシャンプーの中で簡単にカラーリングできるのだ。
でも、やっぱり家染めは家染め、どこか中途半端な気がして、本当に久しぶりに美容室に行ってみた時、実はプロの美容師さんに驚くようなことを言われたのだ。
ご自分で染めているというこの髪色、とてもナチュラルで、いい感じにムラがあり、透明感もあって、すごく良いと思う。美容室でカラーリングすると、きちんと染まるけれど、ペタっとムラがなくなり、こういうニュアンスも失われてしまうから、ご自身でやられたほうがずっと素敵だと思いますよ。
そんなことってあるのだと、とても驚いた。もちろんカットではプロの腕を再認識したけれど、カラーリングは全くテキトーな自分染めを褒められ、さらには自分染めを勧められたわけだから。そういうことを言えるプロも素晴らしいが、プロの完璧なカラーリングよりもそちらの方が素敵だということがあり得るのだと、逆に教えられたカタチ。
もちろんカラートリートメントという手法は、家庭用だけのもので、美容室のカラーリングとは全く別物。特に私が使っているトリートメントタイプには大した技は必要なく、ただ満遍なくカラーリングクリームを広げるだけ。ニュアンスやちょうどいいムラ感が生まれるのも、白髪混じりの自分の髪色のムラが程良い透明度によって浮かび上がるからなのだ。
実際に今は、そうした家庭用のカラートリートメントがどんどん進化していて、家染めの人が増えているという事実もあるが、ともかく、自分でできることってあるのだと知るだけでも、何か自分が成長したような気になって、ちょっと嬉しかったりした。
非常に些細なことだけれど、今はイヤリングよりピアスの方がはるかに美しいデザインがあって、耳に穴を開けていない私は、いつも不満に思っていた。でも実はピアスをイヤリングに変える小さな器具などは豊富にあって、アッという間に自分でできることに気づいてからは、それが楽しくて楽しくて。意外なことが、じつは自分でもできるって気づくこと自体が嬉しいと知るのである。
そもそも人はとてもクリエイティブな作業である料理を、自分でやるという能力を持っている。その料理だって本気を出せばレストランで食べるような1クラス2クラス上の味が出せることに気づけるはず。
自分ではできないと思えばできない。でもできると思えばできてしまう。多くの事は、そういう可能性を秘めているのだと知ると、これがまた、どんどん元気が出てくるのだ。 そもそも“自分でやれる” “自分でできる”って、人間にとって最初に知る達成感だった。それこそ“初めてのお使い”のように、子供の頃の、生まれて初めて自分で何かができたときの喜びって、全くかけがえのないもので、その快感をきっと脳も覚えているはずなのだ。
それはいくつになっても、同じこと。いくつで始めても同じこと。自分でできる喜びを、日常の中にもっともっと探してみて欲しい。確実に生きる活力が増してくるはずだから。そしてどんどん自然な自信が湧いてくるはずだから。しかも人生レベルで経済的。良いことづくめなのである。
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『だから“躾のある人”は美しい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 セカンドステージ 63の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。