「出したら、しまう」が、例えば、2月。年末に大掃除をした家は、今頃まだ清々しい空気に満ちているのだろう。そして家の中だけでなく、日々を生きていく人の心も、まだ清々しいまま。隅々まで美しく片付けられ、要らないものを処分したクリーンな家が、そこに住む人の気持ちまでクリーンにするのは言うまでもないこと。でもそれ以上に、美しく片付いたその状態をキープしている行為と自覚が、人の心をさらに清らかにしているからなのだ。
「割れた窓」の法則を知っているだろうか?公共の建物などで窓が一枚でも割れているのを放置すると、いつの間にか他の窓も割られていく。それは、その場を汚したくないという注意を誰も払わなくなるからで、逆に、割れた窓をきちんと修理すれば、他の窓が割られる確率も低くなる………。誰からともなく大切に守られてきた場所は、自らも大切にしなければいけないという心理が働くことの現れなのだ。
じつは、家の片付けでも同じこと。きちんと片付いている時はその状態をキープしようと、無意識の心がけが生まれて、大きな覚悟がなくても、知らず知らず美しい状態を保ってしまう。ところがその状態がわずかでも崩れると、これもまた不思議なことに無意識に「まぁいいか」と投げやりになり、部屋はしだいに乱れていき、いつの間にか、片付いていないことがあたり前になっていく。
やはりこれも、割れ窓の法則と言っていいのだろう。部屋が乱れ始めると、本当にアッという間。美しい状態をキープしている時は、ある種の歯止めのようなものが働いていたのに。緊張感にも似た心のハリ、それ自体に心地よさが宿るということなのだろう。他の事では置き換えの効かない清々しさと言っても良い。それは多分、想像以上に人にとってかけがえのないもの。だから心まで清らかになるのだ。
例えばの話、ハサミが必要になって道具箱から出してくる。作業が終わって、それをすぐにしまうかどうか?そこが分かれ道なのだ。後でしまおうと、テーブルの上に放置する。すると、次に読みかけの雑誌がまた同じテーブルの上に放置される。やっぱり後でしまえばいいからと。そうこうするうちに、気がつくとテーブルの上にどんどんいろんなものが煩雑に散らかり、しまおうと言う意欲を奪っていくのだ。残念なことに、そのままその日が終わって翌日を迎えてしまうと、もうそれが当たり前の日常になってしまう。散らかった部屋の住人になるのもアッという間なのである。
もともと几帳面な人はそんなの信じられないと言うのだろう。しかし人は、何かを自分に許してしまうと、それこそブレーキが効かなくなる。そうなりがちなのが人間。ぐったりと疲れている日が3日続くと、部屋の様子ががらりと変わる。
「人は部屋の保護色になっている」とよく言われる。つまり暮らしている家に自分が同化し、家とよく似た自分になっていくということ。そういう意味でも、大掃除した後の家のように、いつも清々しく整った印象を持ち続けるためにも、「出したものはすぐしまう」だけは何としても習慣にし続けたいものである。
ともかく私はこれまで、いくらちゃんと大掃除しても3ヶ月位で元の状態に家が戻っていくのを、いつも忌々しく思ってきた。今年こそはこの清々しい状態を1年間キープしたいと、それを1年の目標にしてみたりした。そして朝起きたら、ひとまずお掃除をするという新しい習慣を始めてみている。掃除はそもそも時々あるいは1年分まとめてではなく、毎朝、少しずつでも汚れや乱れを正すことが重要と、小さな掃除を心の浄化のためにも毎朝続けること。そう決めてみたのである。
いつまで続くかわからない。でも三日坊主は免れ、さらに二つぐらいは山を越えた気がしている。実は嫌なことを習慣にする場合も、3日は辛いが、4日目は少し楽になり、5日目には普通になり、1週間経つとそれが当たり前になる。その位、良かれと思って始める習慣は、意外に簡単に身に付きやすいのだ。そして何より「習慣はやがて人格になる」という教えがある。「習慣が人間を作る」のだとも。
若い頃からずっと几帳面な人になりたかった。でも、絶対なれないと思っていた。しかし「習慣が人格を作る」なら、なれそうな気がしてきたのだ。それも、本当に小さな習慣………。大掃除をしてきれいになった家をもう汚さないぞという心がけ。そして、出したハサミはすぐしまう。読んだ雑誌はすぐしまう。たったそれだけの心がけが、人格を作っていくのだとしたら素敵なこと。
断捨離もやりたいけれど、それよりももっと目先の些細なこと「出したらしまう」を続ける、それが心の浄化につながると、近頃は強く実感しているのである。
女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『Yahoo!ニュースエキスパート』でコラムを執筆中。『大人の女よ!清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)他、『年齢革命 閉経からが人生だ!』(文藝春秋刊)など著書多数。