第4回
まぶたの黄蝶
生きるということは、短歌で祈りを届けること――そう話す高田ほのかさんの想いが黄色い蝶になりました。
金継ぎを施された陶磁器の
欠けた翼で羽ばたく黄蝶
高田ほのか
三十一文字の祈り
コラムの担当編集者さんに、拙著『ライナスの毛布』の中から、この連載にふさわしい短歌を選んでもらったところ、上記の短歌に◎がついていた。おぉ、これは何というタイミング。ちょうど一週間前にリンパ浮腫の診断を受けて落ち込んでいたのだ(リンパ浮腫とは、がんの治療部位に近い腕や脚などの皮膚の下に、リンパ管内に回収されなかった、リンパ液がたまってむくんだ状態のこと)。
それでも締め切りはやってくる。ええい、欠けた翼と、リンパ浮腫になった右腕を掛けたコラムをつくってやろうじゃないか、と、右腕をさすりながらパソコンを開いたとき、ふと思った。茶碗は欠けてしまった。けれど、欠けたからこそ、金継ぎを施されてなお輝きを増した。私もリンパ浮腫になって落ち込んだ。しかし、病を得て初めて気づけることもある。健気に頑張ってます……なんて、お涙ちょうだいの典型例じゃないか。んなもん誰が読みたいんだ。いつも生徒さんに言っているだろう。読者がある短歌に感動したとして、歌に詠まれた内容がフィクションだとわかったとき、その短歌の輝きが失われたとしたら、それは短歌に感動したのではなく、その人の体験に感動していたということになる。それは真の芸術とは言えない。フィクションだとわかったとしても、鮮度の落ちない短歌をつくりましょう、と。
たとえば、こんな短歌。
それでも締め切りはやってくる。ええい、欠けた翼と、リンパ浮腫になった右腕を掛けたコラムをつくってやろうじゃないか、と、右腕をさすりながらパソコンを開いたとき、ふと思った。茶碗は欠けてしまった。けれど、欠けたからこそ、金継ぎを施されてなお輝きを増した。私もリンパ浮腫になって落ち込んだ。しかし、病を得て初めて気づけることもある。健気に頑張ってます……なんて、お涙ちょうだいの典型例じゃないか。んなもん誰が読みたいんだ。いつも生徒さんに言っているだろう。読者がある短歌に感動したとして、歌に詠まれた内容がフィクションだとわかったとき、その短歌の輝きが失われたとしたら、それは短歌に感動したのではなく、その人の体験に感動していたということになる。それは真の芸術とは言えない。フィクションだとわかったとしても、鮮度の落ちない短歌をつくりましょう、と。
たとえば、こんな短歌。
折ることは祈ることですたくさんの
小さき指からとりどりの鶴
高田ほのか
この歌は、能登半島地震へのエールとして詠んだもの。小さな指から生まれる色とりどりの鶴は私が考えたフィクションだが、現実に負けない強度を持たせたつもりだ。千羽の鶴は三十一音の歌となり、現実の折り鶴よりも鮮やかに読者の心に宿る。短歌を詠むことは、祈りを届けることなのだ。
リンパ浮腫は一度なると完治は難しいらしい。落ち込む私を女性の理学療法士さんはこんな風に励ましてくれた。「この世の存在として、少し弱くなっただけですから」。コノヨノソンザイトシテ、スコシヨワクナッタ……。あなたの言葉がいちばん詩じゃあないですか。
この世の存在ということは、生きているということ。私にとっては、短歌を届けることだ。だから私はきょうも詠む。金継ぎを施された黄蝶が、そのまぶたに舞いつづけてくれるよう願って。
リンパ浮腫は一度なると完治は難しいらしい。落ち込む私を女性の理学療法士さんはこんな風に励ましてくれた。「この世の存在として、少し弱くなっただけですから」。コノヨノソンザイトシテ、スコシヨワクナッタ……。あなたの言葉がいちばん詩じゃあないですか。
この世の存在ということは、生きているということ。私にとっては、短歌を届けることだ。だから私はきょうも詠む。金継ぎを施された黄蝶が、そのまぶたに舞いつづけてくれるよう願って。

イラスト・小沢真理

高田ほのか(たかだ・ほのか)さん
大阪出身、在住。関西学院大学文学部心理学科卒。2010年より短歌教室「ひつじ」主宰。「未来短歌会」所属。テレビ大阪放送審議会委員。さかい利晶の杜(千利休・与謝野晶子のミュージアム)に短歌パネル常設展示。小学校、大学から企業まで幅広く講演・講義を行い、現在まで短歌の魅力を1万人以上の参加者に伝えている。短歌教室「ひつじ」は、2020年よりオンライン教室を開催。NHK「あさイチ」、関西テレビ「報道ランナー」、女性誌などから取材を受ける。関西を拠点に尽力する社長にインタビューし、その“原点”を「短歌で見つける経営者の心」と題するコラムにしており(産経新聞社)、大阪万博が開催される2025年に100社、100首を完成させ、歌集の出版と展示会を開催予定。著書に『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)。監修書に『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)。