第12回
油のにおいとシーツの白
幼いころの記憶は、においや色と結びついて、ふとしたときに蘇ってきます。
白妙のシーツのうえに微笑める
少女は母のおもかげのごと
高田ほのか
アルバムの中
幼稚園のアルバムをめくると、布団の上でポーズをとるわたしが何枚も登場する。ちょっと得意げに、あるいは照れくさそうに。カメラを向けられると、とりあえず足をピーンと伸ばしたり、両手を合わせて頬に添え、小首をかしげる〝お姫さまポーズ〟をとっていたりしたらしい。背景には、いつも白いシーツが広がっていた。
父は、わたしが1歳になる前に病で亡くなった。母は近所のスーパーで、揚げもの係のパートをしながらわたしを育ててくれた。わたしの幼少期の記憶は、母の油のにおいと、シーツの白色が強く残っている。
父は、わたしが1歳になる前に病で亡くなった。母は近所のスーパーで、揚げもの係のパートをしながらわたしを育ててくれた。わたしの幼少期の記憶は、母の油のにおいと、シーツの白色が強く残っている。
白の理由
わたしは幼いころ、腸閉塞を患っていた。ひどいときは血を吐くこともあり、布団には常にまっ白なシーツが敷かれていた。少しでも汚れるとすぐ洗い、干し、また敷く。母はよく、「洗いたてのシーツって気持ちいいやろ」と言っていたが、ほんとうは、微量でも吐血したらすぐわかるように、という母の気遣いだったらしい。そのことに気づいたのは、ずっと後になってからのことだ。母は、白という色でわたしを守ろうとしてくれていたのかもしれない。
母が揚げていた、コロッケ、天ぷら、からあげ。割引シールが貼られたそれらを持ち帰り、晩ごはんに出してくれることも多かった。そのなかでも、わたしはからあげに目がなかった。揚げたての香ばしさを頬張りながら、よく、「これ、おかあさんが揚げたやつ?」と尋ねた。「そうかもねえ」。母は笑いながら、からあげに箸を伸ばす。その手の甲には、小さなやけどの痕がいくつも残っていた。
夜は、洗い立てのシーツと、油が混ざったにおいに包まれて眠った。
病弱だったわたしも成長するにつれて健康体になり、白いシーツに頼ることもなくなった。母は揚げもの係ではなくなったけれど、今もスーパーで働いている。
母が揚げていた、コロッケ、天ぷら、からあげ。割引シールが貼られたそれらを持ち帰り、晩ごはんに出してくれることも多かった。そのなかでも、わたしはからあげに目がなかった。揚げたての香ばしさを頬張りながら、よく、「これ、おかあさんが揚げたやつ?」と尋ねた。「そうかもねえ」。母は笑いながら、からあげに箸を伸ばす。その手の甲には、小さなやけどの痕がいくつも残っていた。
夜は、洗い立てのシーツと、油が混ざったにおいに包まれて眠った。
病弱だったわたしも成長するにつれて健康体になり、白いシーツに頼ることもなくなった。母は揚げもの係ではなくなったけれど、今もスーパーで働いている。
母の味
先日実家に帰ったとき、久しぶりに母のからあげを食べた。一口かじると、衣がカリッと弾け、中から熱い肉汁がじんわり滲む。母は、「昔は忙しくて、スーパーの揚げものが多かったよね」とすまなそうな顔をした。わたしが、「なんでよ、これはプロの味やん!何年も揚げつづけた成果やね」と言うと、母は照れくさそうに微笑んだ。
色褪せた写真のなかのシーツは、今も幻のように眩しい。
色褪せた写真のなかのシーツは、今も幻のように眩しい。

イラスト・小沢真理

高田ほのか(たかだ・ほのか)さん
大阪出身、在住。関西学院大学文学部心理学科卒。2010年より短歌教室「ひつじ」主宰。「未来短歌会」所属。テレビ大阪放送審議会委員。さかい利晶の杜(千利休・与謝野晶子のミュージアム)に短歌パネル常設展示。小学校、大学から企業まで幅広く講演・講義を行い、現在まで短歌の魅力を1万人以上の参加者に伝えている。短歌教室「ひつじ」は、2020年よりオンライン教室を開催。NHK「あさイチ」、関西テレビ「報道ランナー」、女性誌などから取材を受ける。関西を拠点に尽力する社長にインタビューし、その“原点”を「短歌で見つける経営者の心」と題するコラムにしており(産経新聞社)、大阪万博が開催される2025年に100社、100首を完成させ、歌集の出版と展示会を開催予定。著書に『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)。監修書に『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)。