コラム 暮らしを彩るワンポイント歌人・高田ほのかさんの
【あなたと私のための短歌】

第20回 
ココナッツのゆめ

あまい香りと共に浮かんだあのころの記憶。一瞬にして思い出すから不思議です。

君の名を呼べばはるかな月光に
つつまれながらココナッツのゆめ
高田ほのか

熱気の入口

ダバオ空港を出た瞬間、熱気が肌にまとわりついた。湿った空気を吸い込むと全身がじっとり汗ばんでく。今から20年前、大学2年生のわたしは、ボランティアスタッフとしてフィリピンの児童養護施設「ハウスオブジョイ(HOJ)」を訪れた。
空港の外で、日本人のおじさんが笑顔で手を振っている。「ほのか、はじめまして。よく来てくれたね!」。応募したウェブサイトによると、彼は20年もの間、この地でHOJを運営しているらしい。「ここから大体2時間程度だからね」とトヨタのミニバンの後部座席のドアを勢いよく引いてくれた。
車は安全速度を守りながら砂利道をゆく。その両脇を縁取るように、バナナの木々がどこまでも続いていた。

ココナッツの香り

夕暮れとともにHOJに着くと、15人くらいの子どもたちが一列に並び、歓迎の歌を唄ってくれた。南風がスキップするような軽やかなリズムに、わたしも自然と笑顔になる。帰るころまでには覚えられたらいいな、と聞いていると、小学生の子どもたちから頭ひとつ抜けた、丸い額の女の子に目が止まった。肩より長い綺麗な黒髪を揺らしながら楽しそうに歌っている。唄い終えた彼女と「ハロー!」と笑顔を交わすと、ふわりとあまいココナッツの香りがした。彼女はキリナ、ここでは最年長の17歳だという。
2週間限定で、子どもたちとの暮らしが始まった。料理や洗濯などは家政婦さんがやってくれているらしく、どんなことでもするぞ、と意気込んでいたわたしは少々拍子抜けしたが、子どもたちに教わって水汲みや薪割り、晴れた夜は、あふれるくらいの星々のなか、みんなで歯磨きをした。子どもたちは写真に撮られ慣れており、ガラケーを構えると、どの子も腰に手をあてて得意げに笑ってくれる。そのキュートなポーズがなんだかせつなくて、わたしはあまりシャッターを切れなかった。

同じ速度で

キリナとは年齢が近いこともあり、すぐに打ち解けた。彼女から小さな子たちの世話の仕方を教わったり、わたしが彼女に簡単な日本語を教えたり。ある日は、彼女の案内で近所の教会に行った。わたしの横で聖書を朗読するキリナはあまい香りをまとい、ひとつの風景のように際立って見えた。
帰国前夜。共同浴場でシャワーを浴びていると、隣のキリナがこちらを向き、手をグーパーしている。黒い瞳が微かないたずら心を宿しているように見えた。なんだろう? と思いながらパーにして差しだすと、手のひらに白濁色のシャンプーを垂らしてくれた。ココナッツ! それはまさしく、キリナの香りだった。わたしはどきどきしながらその液体を髪にまとわせた。

月明かりに

「Let's sleep together!」というキリナに手を引かれ、彼女のベッドにお邪魔することになった。月明かりが差しこむ薄暗い部屋のなか、わたしたちは片言の英語でいろんな話をした。キリナは恋をしているらしく、「my heart is broken……」と切なげな声で打ち明けてくれた。どうやら、同級生に失恋したらしい。
わたしは場違いにも、(映画のセリフみたい……)と感動した。そして、恋心を抱けるほどにはゆとりがある暮らしをしていることに安堵している自分に気づいた。同じ目線で過ごしていたつもりだったが、どこかで「助ける側」という意識を手放しきれていなかったのかもしれない。そんな自分が情けなくて、キリナの横顔をそっと見つめた。月の光が、彼女の丸い額をやわらかく照らしていた。

20年経った今も、ふとした瞬間、あのココナッツシャンプーを思い出す。その香りは、HOJの子どもたちと同じ速度で笑い、食べ、眠った日々へ、わたしを一瞬で連れ戻してくれる。
第20回 ココナッツのゆめ/歌人・高田ほのかさんの【あなたと私のための短歌】
イラスト・小沢真理

第20回を持ちまして最終号となります。
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高田ほのか
高田ほのか(たかだ・ほのか)さん
大阪出身、在住。関西学院大学文学部心理学科卒。2010年より短歌教室「ひつじ」主宰。「未来短歌会」所属。テレビ大阪放送審議会委員。さかい利晶の杜(千利休・与謝野晶子のミュージアム)に短歌パネル常設展示。小学校、大学から企業まで幅広く講演・講義を行い、これまでに1万人以上の参加者に短歌の魅力を伝えている。NHK「あさイチ」や関西テレビ「報道ランナー」、女性誌などの取材・対談にも多数出演。関西を拠点に尽力する社長にインタビューし、その“原点”を短歌とコラムで表現する「短歌に込める経営者の想い」(週間大阪日日新聞社)を連載。2027年に100社・100首を完成させ、歌集出版と展示会を開催予定。著書に『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、監修書に『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)。
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