生命のエネルギー通貨“ATP”を視る
~可視化研究の最前線~

山本正道先生

生命活動の根幹を支えるATP(アデノシン三リン酸)は「生命のエネルギー通貨」とも呼ばれ、健康を語る上で欠かせない存在です。ATP代謝を可視化する技術により、臓器や細胞レベルでの生理現象の理解から、健康食品の研究まで、応用の可能性は広がっています。今回は、国立循環器病研究センター 研究推進支援部 特任部長・山本正道先生に、ATP可視化研究の最前線について伺いました。

国立循環器病研究センター 研究推進支援部 特任部長 山本 正道 先生

大阪大学工学部卒業、同大学大学院医学研究科を早期修了。同大学大学院生命機能研究科助教を務めた後、民間企業での研究員を経て、群馬大学先端科学研究者指導者育成ユニット助教、科学技術振興機構(JST)さきがけ研究員、京都大学医学研究科特任講師・特定准教授を歴任。2020年より現職に至る。生体のエネルギー代謝を可視化する技術を開発し、生物・医学・薬学・工学など幅広い領域への応用・貢献を目指して研究活動を行う。

マウス発生学からATP代謝の研究へ

ー 現在取り組まれている研究と、そこに至った経緯について教えてください。

顕微鏡を使用しているイメージ

主にマウスの生体内でATP代謝を計測・操作し、様々な物質の性能評価を行っています。この研究に至るまでには、いくつかの転機がありました。

大学院では幹細胞を研究したくて大学院修士課程に進み、未分化細胞特異的転写因子Oct3*を発見された濱田博司先生の研究室に所属しました。そこで先生の勧めもあり、着床前の未分化な状態から体が形成されていく過程を研究する「マウス発生学」に取り組み、民間企業に入社するまで続けることになったのです。

  • * Oct3/4として知られる。幹細胞を作り維持するための重要な転写因子。
山本正道先生

博士課程の頃には、仲良くしていた山中伸弥先生がiPS細胞の作製に成功され、それを機に「これからは組織幹細胞が重要になる」と感じ始めていました。
組織幹細胞は、特定の組織に分化する能力と自己複製能力を持つ細胞で、損傷した組織の再生や修復に役立つと考えられています。つまり、組織幹細胞を見つけて操作できれば、少しでも健康に導く仕事ができるのではないかと思ったのです。

ただ、当時は組織幹細胞を特定する明確な方法がありませんでした。そこで、共通の特徴を探し、そのなかで行き着いたのが「エネルギー代謝」だったのです。

ー そこで、登場したのが蛍光ATPセンサーだったのですね。

山本正道先生

2009年に、生きた細胞内のATP濃度をリアルタイムに可視化する「蛍光ATPセンサー」が開発されたとの報告があり、大変興味を持ちました。 翌年、あるセミナーで偶然、そのセンサーを開発した今村博臣先生と出会いました。私は既にATPセンサー搭載マウスが作られて研究が進んでいると思っていましたが、実はまだ誰も作っていなかったことが分かりました。そこで今村先生に「マウスを作りたい」と伝えたところ、「誰もやらないから、ぜひ」と背中を押されました。この出会いが現在の研究を始める大きなきっかけになったわけです。

ー 研究の方向性は変わりましたが、今につながっているのですね。

山本正道先生

そうなんです。それに発生学をやっていたからこそ、試験管の中で起こっていることよりも、生体内で実際に起きていることに強く興味を持ち、複雑な生体システムやヒトへの応用の可能性に惹かれました。

体内のATPを可視化できるマウス

ー 先生が作られたマウスに搭載しているATPセンサーとはどのようなものなのでしょうか?

ATP濃度を可視化したマウスの画像

ATP合成酵素の一部に2種類の蛍光タンパク質を付与することによって、ATPが少ないと寒色系に(青っぽく)見え、多いと暖色系(赤っぽく)に見える仕組みです。 さらに、ミトコンドリアだけに局在させたタイプも開発し、世界で初めて臓器内ミトコンドリア活性の観察に成功しました。細胞レベルから臓器レベルまで、ミクロからマクロまで観察できるのが強みです。

ATP濃度を可視化したマウスの画像

暖色に近いほどATP濃度が高くなり、寒色に近いほどATP濃度が低くなっていることを示している。 心臓や骨格筋、胃では特にATP濃度が高くなっていることがわかる。心臓は収縮・弛緩によってATP濃度に変動があるため、赤や緑に変化する。

ATP濃度を可視化したマウスの画像

暖色に近いほどATP濃度が高くなり、寒色に近いほどATP濃度が低くなっていることを示している。 心臓や骨格筋、胃では特にATP濃度が高くなっていることがわかる。心臓は収縮・弛緩によってATP濃度に変動があるため、赤や緑に変化する。

ー マウスを作製するなかで、どのような苦労がありましたか?

山本正道先生

センサーの発現量の調整に苦労しました。ATPセンサーは構造上ATPと強く結合するため、大量に発現するとATPを「捕まえて放さない」状態、すなわち、ATPを利用できない死にかけの状態になります。 過剰発現するとATPは測れるけれど、細胞は不健康になる。一方で少なすぎると、細胞にとっては心地よい状態ですが、ATPは測定できない。そのちょうど良いバランスを探すのが非常に難しかったのですが、チャレンジングな部分でした。

ー 発現量を最適化するために、どのような方法を取られたのですか?

山本正道先生

121種類ほどのマウスを作り、その中から条件に合致するものを選抜するという、地道で時間のかかる方法をとりました。泥臭いと思われるかもしれませんが、そういう方法でなければできないことだと思いますし、今後、別のマウスを作るときも、似たような方法を取ると思います。

ATPの可視化がもたらすもの

ー ATPの可視化技術により、どのようなことが期待できますか?

リアルタイムでATPの変動を追跡できるため、ATPの不足が細胞の変形や損傷にどのようにつながるか、またどのような環境や休息条件で回復が早まるのかを明らかにできます。

サプリメントのイメージ

例えば、運動中、筋肉は大量のATPを消費し、ATPが急激に減少します。この様子を可視化すれば、「どのような運動によってどのくらいATPが減少するのか」「どのような栄養補給や休息によってATP減少の抑制や回復が促されるのか」などが見えてきます。

こうした仕組みは健康食品やサプリメントの研究にも役立つでしょう。様々な要因によってATPの恒常性が乱れた状態で、素材を摂取した場合、変化が大きい場合もあれば、変化がほとんど見られない場合もあると思います。ATP動態を定量的かつ時間的に追えることは、こうした違いを把握する上で非常に有用です。わずかな変化を動的に捉えられることが、この技術のポイントですね。

ー もともと健康食品開発などへの応用も期待されていたのですか?

生体全体のイメージ

民間企業で研究していた頃から、より良い健康素材や成分を世の中に届けるためには、代謝をより高感度に、生体全体で測定できることが重要だと考えていました。

当時、不規則な生活習慣が、体の一部分ではなく、全身に様々な影響をもたらす可能性が指摘されていました。そのため、局所だけでなく全身を俯瞰して測定することが必要だと強く感じていたのです。

山本正道先生

ATPはエネルギー代謝の中心的役割を担い、生体の健康状態を反映します。一細胞レベルでのわずかな変化も検出できるシステムがあれば、これまで見逃していた成分も、より的確に世に送り出せるはずです。「この研究は人の役に立つものになる」という実感が、私のモチベーションでした。

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