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Philosophy第二章
グローバリゼーション

健康への願いに
国境はない

1921年、
徳島の農家に生まれた大塚武三郎は、
家業を継がず、自ら起業。
海水からとれる化学原料を各種業界に供給した。

1946年に、
息子の大塚正士は、輸液事業を開始し、
日本全国の病院に展開。

1971年、三代目の大塚明彦は、
自社開発の薬を創ることを決意し、
大塚で最初となる治療薬の研究所を設立。

研究所のモットーは、
大塚が抱いていた強固な使命を
確認するものだった。
「世界の人々の健康に貢献する革新的な製品を創造する」

1970年代、国際化が急速に進むなか、
ほとんどの製薬会社は
欧米諸国を見据えていた。

しかし、大塚は、
輸液を必要としている
隣国のアジアから展開を開始。

その後まもなく、
中国で唐山地震が発生。
高品質な輸液の必要性が高まり、
中国政府の要人が、
支援要請のため大塚を訪れた。

そして中国では、
外資系製薬企業との初の合弁となる
中国大塚製薬が1981年に設立。
それは両国の架け橋にもなるだろう。

1980年、
水分電解質補給飲料
ポカリスエットが誕生。

日本からの展開を皮切りに、
灼熱の国が多いアジアで、
輸液の知識が応用されたポカリスエットは
速やかに水分補給できる
ファーストエイドドリンクとして
各地に根づいていった。

そのようにして大塚製品は
アジア、アラブの国々へと拡大した。

1980年、
ひたむきな研究が実を結び、
大塚の夢であった自社創薬が誕生。
治療薬事業もアジアから世界に拡大した。

人々の健康への願いに国境はない。

大塚製薬は、
世界の患者さんに革新的な薬を届けるため、
ドイツのフランクフルトと米国東海岸に
研究所を新設。
大塚の米国での研究所設立は、
日本の製薬メーカーとしては
初の出来事であった。

モノづくりの源流に国際マインドを培うことで、
私達の夢である人々のよりよい健康を世界に展開した。

この研究所の設立は
実質的な国際化の始まりとなった。

2000年代に誕生し、
現在もっとも使われている中枢領域の抗精神病薬に次ぎ、
2014年に2つの希少疾病治療薬が生まれた。

30年以上に亘る研究の末、
大塚製薬が独自に創製した
多剤耐性結核の治療薬が欧州で誕生した。

また、
遺伝性疾患である
多発性のう胞腎を治療する世界初の治療薬が、
世界中の医師と患者さんの協力を得て誕生した。

健康には、国境も時差もない。
大塚は、今日も、
明日を創る健康のソリューションを創り続ける。

Soylutionは、栄養が豊富な大豆は、
人の健康と地球にやさしいと考え、
世界の人々のための
大豆製品の開発と普及に
取り組んでいる。

健康は世界中の国や文化の人々に共通の願い。
偏見をもつことなく互いを尊重し、
世界中の人々が健康を目指し、
難しい方へ、難しい方へ、
ものまねをしない道を歩む。

大塚製薬の製品は
世界80カ国以上の患者さんや
消費者に届けられている。

大塚製薬の社員は、エネルギーと情熱、
信念に満ちあふれ、
創造性と多様性を持ち合わせている。

“ビッグベンチャーカンパニー”だ。

大塚の社員は世界の人々の健康に貢献する革新的な製品を創造する。大塚製薬株式会社

(2014年作成)