結核

回復後、結核患者さんを鼓舞していく

“必ず治ると信じてください”
── ダーシャ、グリーシャ・ラブルシニー

ロシアに住む30代の夫婦、ダーシャとグリーシャ・ラブルシニーは、ともに結核を克服しました。

ダーシャは17歳のとき母親を亡くしました。仲の良い親子だっただけに、死別をきっかけにダーシャは病弱になり、気分が落ち込みやすくなりました。数年後、ダーシャは働きながら心理学を学んでいましたが、ある時体調を崩してしまいました。最初は単なる風邪のような症状だったのですが、何ヶ月も咳が続き、ついに結核を患っていることが判明しました。治療を終え、結核を克服したと思ったのも束の間、病気が再発したため入院し、さらなる治療を受けることになりました。その病院で出会ったのが、夫であるグリーシャでした。

グリーシャの両親はともに医師で、特に父親は、自分の母親が結核で亡くなったことから結核専門医になったそうです。そのためグリーシャ自身も結核の知識は豊富で、典型的な症状(寝汗、疲労感)が現れるようになったとき、すぐに原因が分かったといいます。

不運にも、彼がかかったのは結核の中でも最も悪性で治療が難しい超多剤耐性結核(XDR-TB)でした。超多剤耐性結核は、結核薬のイソニアジドとリファンピシリンに耐性があることに加え、フルオロキノロンや第二選択薬の注射剤にも耐性があります。グリーシャの治療は難航し、ダーシャと出会った頃には両方の肺に空洞ができ、ほとんどの薬が効かず、彼が生存できる確率はゼロに近い状況でした。

医師からは余命1年未満と告げられていました。結核研究所の医師たちは、最後の可能性に賭けて彼を入院させました。慎重に選び抜かれた投薬治療と外科手術により、グリーシャは回復しました。ダーシャがいなければ不可能だったと彼自身が認めています。二人は出会ったときから日々をともに過ごすようになっていました。2006年に結核を克服したダーシャは、治療の各段階でグリーシャを支えました。

グリーシャは病弱なので、運動など体を動かす作業はほとんどできません。そのかわりに、図書館やインターネットで長い時間を過ごしながら、結核に関する知識を深めました。そこで分かったのは、人々が結核という病気についてほとんど知らないこと、そして自分の住む地域で受けられる治療について信頼性の高い情報を入手するのが難しいことでした。グリーシャは、様々なフォーラムに出席し、診断を受けるべき機関、受けるべき検査、優秀な医師の見つけ方、ネットの情報の活用方法、小都市で治療を受けられない場合の関係機関への相談方法などについて、患者さんへアドバイスを行いました。

グリーシャは、こうした経験を基に結核患者向けのウェブサイトを独自に立ち上げました。
彼の担当医であるオクサーナが医療関係のページ制作に協力し、利用者からの相談にはグリーシャが応じています。このウェブサイトのテーマは「あなたは病人ではなく、治りつつあるのです」。ダーシャは「病人だからという感覚を捨てない限り、治療は何の役にも立たない」と言います。自分の苦しみを見つめるよりも、人を助けたい。この若いカップルが自らの問題を克服する強さは、その思いからきているのです。

結核と共に生きる

世界中の誰もが、結核にかかる可能性があります。結核は、アフリカの平原からペルーの山地、欧州や北米の都市に至るまで、あらゆる地域に存在する病気です。ただし不治の病ではありません。近年においても毎年何百万もの人々が亡くなっていますが、その一方で、結核と全力で闘い克服した人々がいます。